7月のこれまで

気づくと7月も半分を過ぎてしまった。

2日の日曜日には苓北で環境会議の看板をつくっていた。
つくっていたといっても、33を34になおし、8と9の数字を入れ、会場が集会所からコミセンに変わったのでコミセンの文字を加える。しかし、枚数がある。道路沿いに立てるのが、三か所、これは両面だから6枚。そして、Aコープに一枚。苓北のJA支所が三か所。それに会場入り口の分が一つ。


二枚目の写真は、環境会議当日の花田熊本学園大教授の開会あいさつ。


4日の火曜日は、台風だった。
午前7時ころから9時ころまでと短い時間だったが、雨と風が強かった。午後から家へ続く細い道に落ちた枯れ枝を掃除した。

5日は、新和町の笠井さんの家で飲み会。
『県民の会』事務局長の土森さんが31年勤めたNECを退職するので、その慰労会というのが名目。代表の中島さんも来て、笠井さんとぼくが入り、御所浦の話がしたいと中山さんが加わって5人。
6時からというので10分前に着いたら、
「あ〜ら、グッドタイミング。ね、ミズイカの刺身作って」と笠井さん。「あと、タコとアワビもあるのよ」
なんじゃこりゃ、と思っていると、
「土森さんに何が好き?って聞いたら、貝が好きって言うじゃない。だからアワビを買ってきたわよ」
土森さんは、玉名の岱明に住んでいる。その土森さんが貝と言ったら、アサリだろう、と言おうと思ったが、止めた。

それにしても、土森さんの退社の理由がふるっている。
勤務の関係で石木ダムの集会で2回、路木ダムで1回、大事な集会に参加できなかった。これからは、近くの町工場で働きながらダム問題に専念します。


そして、この日から翌日にかけて福岡と大分で豪雨。30人以上が亡くなり、いまだに十数人が行方不明だという。明日は我が身、亡くなられた方の安らかなご冥福を祈ります。

さて、8日は環境会議当日。しかし、翌日の姪の結婚式もあって、会議が終わって、即、退散。

結婚式には、このためだけに買った白いワイシャツを着て行ったが、ワイシャツ姿は、ぼくと息子クンだけだった。
でも、カミさんが言うには、比較的簡素な結婚式だった、と。新郎の父親は車いすに乗っていた。姪は、結婚後は仕事を辞めて父親の介護にあたるという。

我が家は修繕の最中なり。
引っ越しも考慮に入れて、目下、探し中。