ゲジゲジ

車から降りて家に入ろうとしたら、勝手口の敷居にゲジゲジがぶら下がっていた。

むかし、20代の後半のころ、板橋にある8ミリカメラの組み立て工場で働いていた。1978年のころだと思う。
板橋というのは当時、カメラの町で、カメラの部品工場がいたるところにあった。レンズの研磨工場や梨地加工を専門とするところなど、なにしろ、板橋界隈を一周すれば、新品のカメラができるのではないかと思えた。
そこに、ぼくがひそかにゲジゲジ君と呼んでいた若者がいた。ずんぐりむっくりの体格で、口ひげを蓄えている。髪は長髪だ。手先は器用で、カメラに内蔵されている反射ミラーの調整をスイスイとやっていた。
ゲジゲジ君のほかにいつも文庫本を抱えている「文庫君」というのもいて、彼らとぼくとで写真同好会みたいなものをつくっていた。
「上野公園で桜が満開だとよ」と聞けば、
「じゃ、行ってみっか」ということになり、三人で出かけた。

ゲジゲジの音の響きから思い出してしまった。

今日、不思議な確信をした。
オシロイバナが、なぜ、オシロイバナと呼ばれるのかずっと不思議に思っていた。
この花は夕方に咲く。オシロイとは化粧のこと。夜に客を迎えるための遊女の化粧のことではないか。そして、遊女そのものをこの花に見立てているのではないか。


それから、もう一つの確信。
私たちの人生は、この一滴の水滴に似ている。

水滴が世界を映す。
その世界が最大になったところで、水滴は重みゆえに落ちる。