色即是空

倉地さんという発明家のおじいさんがいる。彼から「波動」の話を聞いたことがあった。
話の始めに彼は言った。
「わしがなぜ、波動の研究を始めたかというと、年間30兆円といわれる医療費のうちの1兆円くらいを減らしたいというのが一つ。もう一つは、格差社会を是正したいという思いからです。金持ちは、病院で最高の治療を受ける。しかし、貧乏人は、その病院にさえいけない」
彼のすごいところは、79歳になって、年寄り臭さがまったくしないことだ。小柄だが、体はひきしまっている。目は鋭い。その目は、常に相対するものの本質に向けられているように思える。
彼は自宅の庭に掘った池で、水を循環させている。水洗トイレ以外のすべての水がこの池に集められて循環する。台所も風呂もだ。だから彼は洗剤を使わない。シャンプーも石鹸も使わない。池の底には彼がつくった波動発生装置が取り付けられている。
保健所からは止めるようにと再三勧告を受けている。
「わしが元気なのはこの水のおかげだというのに、なんで止めなければならんか」
そう言って、彼は譲らない。
しかし、彼の奥さんは、彼のもとを去った。「買い物に行ってきます」と言って出かけ、そのまま帰らなかった。これはもう、ずいぶん前の、彼が40代の頃の話だったと聞いた。
常人には、彼は理解できないのかもしれない。
彼の特許の数は50を超える。実用新案は200以上だ。が、特許の更新には特許1件につき、年およそ2万円の金がかかる。50を超える特許となると、それだけで100万円を超える。彼は、特許を金のかからない「著作権」に切り替えたと言った。

このところ彼が熱中しているのは、遠心力を利用した水の上昇実験だった。
「水を入れたビニールホースをU字型に曲げてな、こう、片側から息を吹き込む。水は加えられた力の分だけ上昇する。加える力を一として30センチくらいかな。ところがだ、わしはビニールホースを螺旋(らせん)状に巻いてみた。どうなったと思う。水は3メートルも上昇した。そう、遠心力だ。螺旋にすることで、遠心力が働いたのだ。遠心力は、水の重力を外側へと分散してくれる。その分、水は軽くなる。
わしは庭に実験装置をつくって、実験しとる。今や水は5メートルまで上がった。
なぜ、こんな実験をやるか、だって。いい質問だ。エネルギーの問題を考えている。つまり、電気だ。原子力で電気をつくるなんてアホなことをやっちゃいかん。できるだけ少ない力で水を上昇させる。そこから、一気に落とす。落とした水が発電タービンを回す。水力発電だな。
天草は海に囲まれているだろ。海には潮汐がある。この力を利用して、水を位置エネルギーに変える。わしが計算したところでは、有明海不知火海とで日本で使われる電気の量の二倍の発電量がある」
凡人には、話についていくのが難しい。
彼の話は、まだ続く。

「波動は、宇宙空間に無限に存在する宇宙エネルギーのことです。そして宇宙エネルギーは何かというと、引力です。そう、波動は、引力と思ってもらっていい」
波動とは引力である。分かったような、分からぬ話だ。半信半疑の顔をしていると、彼は言った。
「この世界のすべては、分子でできている。分子はさらに原子からなっている。その原子は素粒子からできている。今、分かっていることはここまでです」
彼の話を聞いているあいだ、ぼくの頭の中には、「色即是空」という言葉が浮かび、こびりついていた。そう、『般若心経』の一節、「色即是空、空即是色」。

人が死ぬと、炉で焼かれる。そして、骨が残る。人はその骨を骨壷に入れ、大事に持ち帰る。そのあとはどうなるのだ。残ったもののことではない、焼かれた当人のことだ。
ぼくはこう思う。焼かれる当人の99パーセントは、消却炉の煙突から宇宙へと拡散していく。そして、長い旅に出る。残った1パーセントが、骨だ。その骨もやがて宇宙へ帰る。

発明家の彼は、透明なチューブを物差しで測り、ハサミでちょきんと切った。そして、切り口を上にして持ち、色を付けた波動水を入れる。つなぎの部分に接着剤をつけ、短いチューブに通して腕輪の完成だ。彼はこれをいくつも作った。
「あんたらが貧乏なのはようわかっとる。金はあるところからもらいます。わしの借金は億単位ですけん、一万、二万でどうなるもんでもなかとです」

この腕輪、買えば三千円だそうで、もっと大きい首輪は五千円だということです。
 
 彼の名誉のために付け加えておきます。
彼の弟は、アポロ計画に参加してのち、アメリカの大学で教べんをとり、筑波の生命先端研究所の所長から九州大学の副学長を歴任し、今は永住権をとったアメリカに住みます。