いい風


カミさんと二人で、カミさんが土産に持っていった塩の代金を払いに、塩屋のメグミちゃんを訪ねた。メグミちゃんは、マッちゃんと二人で海水から自然塩をつくっている。
「家の前の道は工事中だから車は下に置いてきてね」
メグミちゃんのいる塩屋の家は、大江天主堂の向かい側の丘の中腹にある。大江天主堂の駐車場に車を置いて、坂道を歩いた。100メートルくらいか。
「あーっ、いい風が入ってきた。ほら、ほら。あぁ、涼しい」
メグミちゃんちの裏は山が続いていて、その先は、さらに東シナ海へと続いているのだ。風は、緑色をして山から下りてくる。透明な風の子どもといっしょに。
「ところで、お茶は、冷たいの、ぬるいの、熱いのとあるけど、どれにする?」
「ぬるいの」とぼくは言ったが、出てきたのは熱いコーヒーだった。
「置いといたら、じき、ぬるくなるから」
クーラーなんてもちろん、ない。そういえば、扇風機も見かけない。暑いには暑いが、暑さを超えて、さわやかさがある。懐かしいさわやかさだ。


7月末から8月の初めにかけてカミさんが東京へ行った。天草の土産に塩を持っていくことにした。
カミさんは、もともと東京育ちなのだ。彼女の姉妹たちは、今でも東京近辺に暮らしている。世田谷に一人、町田に二人、川越に一人、小田原に一人、亡くなった長男の嫁さんだけは、名古屋に住んでいる。
しかし、今回の東京行の目的には、大事なもう一つの理由があった。5月に娘が結婚したのだ。その相手が群馬の彼で、彼氏の両親と顔合わせをしなくてはいけない。いわゆる「結婚式」はしていないから、個別に会うことになる。神楽坂のホテルの食堂でフランス料理を食べたらしい。「らしい」というのは、ぼくは行っていないからすべて伝聞でしかない。
「フランス料理美味しかったよー」
「気さくな両親で、楽しかったよー」
「全然緊張しなかったよー」
このあたりは舞台女優兼教師としての、長年のカミさんの腹のすわりようだ。
「お父さんにもよろしくといっていたよー、アハハハハ」
まったく、Tシャツ三枚持って、どうして神楽坂のホテルのフランス料理屋に入るのだ?