弁護士の品格

 熊本市京町というところに熊本地方裁判所がある。裁判所正面は、権威の象徴としての赤レンガ造りになっていて、これから五十年もしたらレトロな「司法博物館」になりそうな代物だ。
その裁判所に行く機会がここ数年多くなった。
現在進行中の裁判は、熊本県の蒲島知事を被告とした『路木ダム』裁判だ。

路木ダムは熊本県営ダムで、熊本県がダム建設の決定権を持つ。
しかし、県営ダムとはいえ、工事費は国がおよそ4割を負担する。同じく4割を県が負担し、天草市が残り2割の負担と、大まかにはそうなっていて、国が予算を付けなければダムはできない。
四年前、長い間続いた自民党政権から民主党へと政権が変わった。民主党のスローガンは、『コンクリートから人へ』だった。よかった、これで路木ダムはできない、とダムに反対するぼくらは喜んだ。
実際、政権交代後の公共工事見直し作業の中、路木ダムも無駄なダムの一つとしてリストアップされていた。
当時、民主党の国交大臣は前原氏だった。ところが、時間切れ寸前、蒲島熊本県知事は上京して前原国交大臣と会った。結果、路木ダムは凍結からはずされた。
前原氏は松下政経塾の出身だ。蒲島知事は、かって東大教授の肩書を持ち、今なお悪名高い政治家を輩出し続けている松下政経塾の講師でもあった。二人は師弟の関係ということになる。

さて、裁判での原告の主旨はこうだ。
熊本県知事蒲島郁夫は、熊本県に対して路木ダム工事に関しての支出を返還せよ」
つまり、蒲島知事は間違った判断に基づき、路木ダム事業を決定・推進したのだから、路木ダムに使われた税金を熊本県に返還しなさい、というものだ。
ちょっと分かりにくい表現だが、行政訴訟特有の制約からこうなるらしい。

行政と市民は、それほど身近であるわけではない。いつからそうなったのか、あるいはずっと昔からそうだったのか。いずれにせよ、市役所の職員から県の職員まで公務員は市民の方を向いてはいない。これははっきりしている。彼らが見ているのは、職場の上司であり、さらに市職員であれば市長だし、県の職員は県知事ということになる。

行政がやることに対して市民が異議申し立てをしようとすれば、「監査請求」の手続きを踏む。天草市の場合、監査委員は三人。合併前の元新和町町長と公認会計士、それに市議会議員の中から一人だ。ここで形ばかりの「監査」はされるが、ほぼ市民からの請求は却下される。この決定に不服であれば、住民訴訟として裁判で争うことになる。
県への監査請求にしても同じようなものだ。監査委員は一応市民の側と行政側の双方の意見を聞くが、現在進行中の工事を止めるような決定はあり得ない。
こうして行政訴訟としての裁判が始まるのだが、市民の側には最初からハンディがある。金がないから弁護士を頼めない。対して、市にも県にも顧問弁護士というのがいる。県や市の職員は、出張扱いで裁判に来る。かたや市民は、裁判のたびに各々が500円のガソリン代を負担して片道2時間を走って、天草から熊本まで行く。
こうして始まった裁判だったが、三回目の公判あたりから、北海道の市川弁護士が名乗り出てくれた。市川弁護士は、地元の弁護士にも参加してほしいと、熊本から二名の弁護士を引き入れてくれた。こうして弁護士三名の弁護「団」ができた。弁護費用はなし。ただし、市川弁護士には、北海道から熊本までの往復交通費のみを払う約束で。
行政訴訟は、裁判に勝ったからといって金がとれるわけではない。裁判開始にあたって熊本の弁護士幾人かに会って話をした。しかし、どの弁護士もやんわりと断ってきた。
熊本は、「川辺川ダム」や「水俣」など、全国的にもよく知られた裁判にかかわった弁護士がいるにもかかわらず。勝ち目がないことと、金にならないことのほか、思いあたることはない。
弁護士と聞いたら、私たちは正義のために法廷で闘う弁護士の姿を想像する。しかし、現実はそうではない。大坂の橋下市長を例に出すまでもなく、依頼主と顧問契約を結び、顧問料を手にする。依頼主が何を考え、何をしようとしているかなどは二の次だ。顧問弁護士は、依頼主の利益のためにのみ存在する。正義も信念もあったものじゃない。


写真を見ると、市川弁護士が初めて路木ダム予定地を訪れたのは、2010年4月だったことが分かる。写真は路木ダム予定地の近く、古江岳山頂から牛深・深見方面を見る市川弁護士。
市川弁護士は、『日本森林生態系保護ネットワーク』の事務局長でもある。
路木ダム建設予定地を見ての市川弁護士の感想。
「すごいね。こんなところ、九州にはもうないよ。宮崎の綾町の照葉樹の森と、四国の四万十川が、源流から河口までわずか六キロの中にコンパクトにセットになっている。それに、羊角湾でしょ。森と川と干潟のモデルとしても日本中探しても(これほどのところは)ないよ」

いくどか裁判所に足を運ぶたびに、弁護士の品格というようなことを考えるようになった。熊本県天草市の顧問弁護士は、二人ともが、それぞれタイプの違う悪賢いガキがそのまま大人になったような顔をしている。熊本県天草市の顧問弁護士二人には申し訳ないが、これはぼくの感想だ。

しかし、こんな中で、熊本県弁護士会が今年2月に、熊本県天草市に対して意見書を出した。「路木ダムは中止すべきである」という意見書だ。
熊本県弁護士会には、熊本で弁護士活動をするすべての弁護士が加入する。当然、熊本県天草市の顧問弁護士も含まれる。弁護士会内部でのやり取りは聞くすべもないが、弁護士会としての意見書を出すにあたっては、相当の応酬とまた、抵抗があったものと推測される。
それでも、熊本県弁護士会の「意見書」として公にされた。弁護士の良心は、熊本でまだ、生きていた。そう、思いたい。
http://www.kumaben.or.jp/message/kumaben/2013/02/post-50.html

たまたま出会った文章にこんなのがあった。
"士たるものの貴ぶところは、徳であって才ではなく、行動であって学識ではない"(吉田松陰
そう、弁護士も「士」なのだ。