ぼくの読書遍歴

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ぼくの読書始めといったら、小学校1年生にまでさかのぼる。
水野先生という、当時30代後半くらいの女性教師が担任だった。
彼女は教科の合間に、よく本を読んでくれた。そして、そのほとんどは推理小説だった。多かったのが、江戸川乱歩。ぼくは、話の続きが知りたくて図書室へ行った。そこにはしっかり装丁された江戸川乱歩の分厚い本が並んでいた。
これが、ぼくが本を読み始めたきっかけだった。
クラスのみんなは、ほとんどが絵本を手に取っていた。ぼくだけが江戸川乱歩を読んでいる。
「わかるんでしょうか」と、後ろで教師の話が聞こえる。
不思議なことに、これがわかるのだ。
思うに読書というのは、漢字や言葉を知っているから読める、ではないのではないか。ぼくは鼻水を袖口でこすりながら読んでいた。あるいは読んでいた、とは違うものだったかもしれない。たとえば、開いたページに浮かび上がる映像のようなものだったかもしれない。
この水野先生、かなり個性的だった。今でも覚えている彼女の言葉に
「春にはみんなタケノコを食べますが、タケノコには栄養はありません」などと小学生に向かって言っていた。
彼女にはまた、習字も習った。放課後の教室で墨をすり、半紙に向かった。クラスで何名かが選ばれて習字を書くのだった。なぜ、ぼくが選ばれたのかは、たぶん、父のせいだろう。父は、役場に勤めていたが、きれいな文字を書いた。兵隊に行っても文字がきれいだというので、事務をやっていたということだった。
で、小学一年のぼくが習字をやることになった。習字の時間は放課後だ。みんなは帰っていくのに、ぼくは墨をする。ようやく解放される頃には、薄暗くなっている。それからおよそ3キロの道を歩いて帰る。
習字のせいでいいこともあった。天草の中心市本渡市の小学校まで習字を書きに行った。当時は交通の便が悪く、一泊しなければならない。『茶碗屋旅館』というところに泊まった。父が同行した。それから、やはり父が同行して、熊本の黒髪小学校へも行った。一年生で書いた文字は「きり」、二年生でかいたのは「かるた」の三文字。
賞状が増えていった。そこで、ぼくは提案した。賞状一枚が10円、これをもらった枚数分だけ正月のお年玉としてくれと。300円いったかいかなかったか、その辺は覚えていない。

読書遍歴を書くつもりが、習字の話になってしまった。つづきはいずれ、また。