お祝い月間

 今日は、カミさんの誕生日だ。

 で、この前の18日が、ぼくの誕生日だった。生まれた年は、1951年と同じ。カミさんは、基本、東京育ちだ。基本、と書いたが説明すると結構ややこしい。

 

 カミさんの父親のノブヨシさんは、山梨の生まれだ。ノブヨシさんは、「神童」と呼ばれていたらしい。それで、山梨出身の実業家、望月軍四郎の書生として東京へ出て、早稲田大学に入った。ところが、学生運動にかかわったとして、早稲田を退学になる。彼は早稲田から中央大学へと移った。大学卒業後は、満鉄で働いたと聞いた。東京の荻窪に邸宅があり、お手伝いさんもいたのだという。子どもはカミさんも入れて7人。末っ子のカミさんだけが静岡県沼津で生まれている。これは、1945年の日本の敗戦が関わっているだろう。ノブヨシさんは、沼津ではコロッケを作って売っていたとも聞いた。

 やがて、一家は東京へ引っ越す。引っ越し先は東京の府中市だった。カミさんの東京生活の始まりだ。以来カミさんは、高校生までを府中で過ごした。

 その高校生の間に「民青同盟」に入り、18歳になるのを待って、共産党に入った。

 ぼくと初めて会ったのは、ぼくもカミさんも20歳の時だったか。共産党の活動にも疲れが見え始めていたように思う。大学で、ゼミのような、マルクーゼの著作をテキストとする12,3人の教室だった。人数が少ないこともあってみんながすぐに親しくなった。大学近くの喫茶店によく行った。

 

 つづく・・・