時間と時と


 まもなく2018年が終わる。
 地球が太陽を回る。一周して一年だ。
 ぼくは、1951年の生まれだ。生まれて10年ほど経ったころに思った。

「2000年までにまだ40年ある」と。

 しかし、まもなく2019年になる。
 それからしばらくして、明治維新から100年だと言われた。
 そう、そして今年は150年だと、どこかの馬鹿が大騒ぎをしていた。

 しかし、これはどれも時間の話で、人間の話だ。
 時は、まったく別のところで流れ続ける。

 そう、例えば、この「カメの手」のように。




  カメの手

わたし カメの手でございます
もう 何年 この岩の割れ目でこうしていますやら

もともとは漂っておりました
ええ ずっと ずっと
不知火海から 有明海
外海に出て 東シナ海から日本海まで
どこまでも 流され 浮遊し
しぶきとなって 風に飛ばされ
また うねりの中の極微小の構成員として岩に叩きつけられ
あるときは 力尽きた渡り鳥に寄り添ったこともありました

いつからか ここに住みついて塩を作っている塩屋などは 肝臓によいのだといって わたしを岩からひっぺがして 鍋でぐつぐつ煮てから 味噌を入れ 折々に食べているようですが さてそれで 塩屋の肝臓がよくなったのかどうか そんなことより わたしには あのにやけた顔で 際限なく酒を飲むのを止めるほうが よほど肝臓のためと思うのですが いえ 塩屋には聞こえないように 内緒の話ですけれども

カメの手でございます
先日 年配のご婦人がいらっしゃって
わたしの前に じっとしゃがんでおいででした
それから 顔をあげて
「ねえ 神さまは こんな海の中の 岩のあいだにも
祈りのかたちを用意してくださっているのよ」
お連れの方は ぼんやりと海を眺めておいででした
ご婦人は わたしの上に 小さな十字をえがき 小さく小さくつぶやかれました
「あしたの手術が 無事に終わりますように」