楽しいことを考えよう
11月の大陶磁器展への出展締め切りが、明日10日に迫った。
応募用紙には作品の写真添付の欄があって、今日、この写真を撮ったところです。
それにしても、と思います。
朝がくるのが待ちどうしくて、わくわくして起きたことが何回あっただろう、と思います。67年の人生の中でです。
それで、例えば『天草アートフェス』みたいな企画は考えられないかと、悶々としています。
場所は、例えば廃校になった学校です。
出来れば来年4月。
産直の野菜があってもいいし、おでんや焼き鳥があってもいい。このあいだ「山野草を食べる」というイベントをやりましたが、春だと野草の天ぷらがあってもいい。
コンセプトは、「アートで生きよう」。
なんかできないものかと考えています。
虫の季節
5月になった。
命輝く新緑の季節だが、すでに虫に二回刺された。
最初は右手の小指の先。外で作業するために手袋をつけた。ヤツは手袋の中の小指の先にいた。多分、蟻だと思うが姿は確認していない。見る間に右手の甲がグローブのようになった。それは夕方までにはもっと広がって、肩から下の右手全体が腫れた。
それから10日ほどして、今度はムカデに同じ右手の人差し指をやられた。
右手の甲は再びグローブ状態になった。
ムカデに関しては油断があった。風呂を洗おうと蓋をとったら蓋の下の浴槽に張り付いていた。そいつをピンセットでつまんでカミさんに見せた。
「ほら、こんなのがいたよ」
そして引き返そうとした瞬間、そいつは頭を振って人差し指をかんだ。カミさんが飛んできてムカデをスリッパでたたいた。かまれた指には血が丸くあふれた。
前途多難の予感がする。
雲母
岩石の種類の一つで「雲母」というのをご存じだろうか。
薄い層が積み重なって、一つの岩石を作っているものだ。
その薄い層の一枚には、10年、100年が凝縮される。それは、100万、1000万の命であるのかもしれない。
わたしたちは、人とは何か、と問い続けてきた。哲学の問題でもあり、宗教の問題でもある。答えは出ているのかもしれないが、いまだ、広く共有されてはいない。
間もなく、平成から令和へと変わるという。
雲母の層の一枚が加わる。
イチミサンザン
なに、今日の夕方いつものスーパーでの買い物です。
今夜の夕食のカレーのルーとカミさんのためのヨーグルトとビスケットを買ってレジに行ったら、1333円です、といわれ、おもわず「イチミサンザン」ですか、と言ってしまったのでした。レジのおばさんはポカンとしていました。
あわてて付け加えました。
「あの、昔、語呂合わせで年代を覚えませんでしたか」
「イチミサンザンは、1333年で鎌倉幕府の滅亡とか、イシクニ(1492)見つけたコロンブスとか」
レジのおばさんはまだキョトンとしています。
「いやぁロッパ(1868)くん、明治だね、はどうです?」
レジのおばさんは、もう、泣きそうな顔をしています。
「あ、すみません。イチミサンザンは、アベ一味のことだったんですけど。今はわからなくてもいいです。来年になったら分かると思いますので、多分」
そーっと、スーパーを出ました。
タヌキ食堂、その後
食堂にやってくるタヌキは四匹とばかり思っていた。
ところがいつの間にか増えて、少し前から六匹になっている。
タヌキは、家族で行動するのだと聞いたことがある。一回り小さなタヌキは、子どもなのだろう。
六匹もいたんじゃ、これまでの量では足りないだろう、と思って食パンのミミ(ひと袋100円)を買ってきたところです。
今、四月。タヌキとの共存は、しばらく続きそうです。
ヤモリ見参
今日、ヤモリが現れた。
朝の気温は10℃以下だが、日中は20℃近くになる。
ヤモリにとっての長い夜が明けた。
では、ヒトにとっての長い夜はいつ明けるのだろう。
もう、100年も200年も私たちは明けることのない夜の中にいるように思える。
光の中へとヒトが出ていくとき、そこにはどんな光景が広がっているのだろう。